矢沢永吉さんの「家」、気になっている方は多いのではないでしょうか。
現在の自宅は東京・南麻布の推定15億円という超豪邸なのですが、なんと地下には約50人が入れるライブハウスまで完備されているんです。
しかも、この家を建てたのは35億円の借金を6年で完済した「その後」というのだから、矢沢永吉という人物のスケールのでかさに改めて驚かされます。
・矢沢永吉の現在の家(南麻布豪邸)の場所・間取り・価格の詳細
・地下ライブハウスや赤坂スタジオなど、家にまつわる驚きのエピソード
・山中湖の別荘取り壊しや35億借金完済など、住まいの変遷と背景
矢沢永吉の家(南麻布豪邸)はどんな場所?間取りと価格を徹底解説
矢沢永吉さんの現在の家は、東京・南麻布にある推定15億円超の大豪邸です。地上4階・地下3階という驚きの構造から、地下に隠された秘密の空間まで、詳しく見ていきましょう。
南麻布の15億円豪邸の場所と外観
矢沢永吉さんが現在住んでいるのは、東京都港区の南麻布です。
麻布といえば東京でも屈指の高級住宅街。渋谷や新宿へのアクセスが15分程度と利便性が高い一方で、閑静な住宅街が広がっており、富裕層が集まる街として知られています。賃貸で4LDKを借りようとすると家賃200万円クラスの物件がざらにある、まさに”選ばれた人だけが住める街”です。
そんな南麻布の一等地に、矢沢さんの豪邸はあります。
敷地面積は約740平方メートル。都内の高級住宅街に、これだけの広さの土地を構えているだけで十分すごいのですが、驚きはその金額です。
地元の不動産関係者によると「この辺りの土地は、1坪300万円は下らないので土地代だけで7億円」とのこと。建物代と合わせると推定15億円超えの豪邸になります。
これが2012年に完成したビルで、当時の女性セブン(2012年8月9日号)にも「地上4階、地下3階の超豪邸の建築が進んでいた」と報じられていました。
外観については、1階のエントランスが大理石を使った瀟洒な造りになっているとされています。一見するとオフィスビルのようなスマートな見た目ながら、中には矢沢さんのこだわりが随所に詰め込まれています。
南麻布の豪邸は土地だけで7億円、建物を合わせると15億円超えという、まさにスーパースターにふさわしいスケールの家です。
土地代の内訳
この南麻布の土地は、1坪あたり300万円を下らないという高級地です。740平方メートルは約223坪に相当しますので、単純計算すると土地代だけで約6.7億円以上になります。
不動産関係者が「7億円」と表現していた金額と一致しており、この数字は複数のメディアで引用されているため、信頼度は高いと言えます。建物の施工費を加えると、15億円という推定額は十分に現実的な数字です。
地上4階・地下3階の間取りを公開
矢沢さんの豪邸は、地上4階・地下3階という構造になっています。普通の一軒家と比べても、これだけのスケールの個人宅というのはかなり珍しいです。
各フロアの使い方については、こんなふうに配置されているとされています。
| フロア | 用途 |
|---|---|
| 1階 | 客間・エントランス(大理石仕上げ) |
| 2〜4階 | 矢沢さんと家族の居住スペース |
| 地下1〜3階 | ライブハウス・バーカウンター・スタジオ等 |
1階は来客のためのスペースとなっており、大理石を使ったエントランスが設けられています。上に住んでいる家族の生活空間とは分かれている設計で、プライバシーもしっかり確保されている印象です。
2階から4階が矢沢さんと家族の暮らす居住スペース。子供家族とも一緒に住んでいるとされており、上の階に上がるほど家族だけの空間になっているようです。
そして最大の見どころは、地下にあります。
地上4階・地下3階という構造は、まるで小さなビルのようなスケール感。一般的な豪邸の概念をはるかに超えた、矢沢永吉さんらしい”規格外”の家です。
地下に50人収容のライブハウスを完備
矢沢さんの豪邸で最も話題になっているのが、地下に完備されたミニライブハウスです。
なんと、約50人が入れるライブハウスが自宅の地下に作られているんです。個人の自宅に、ですよ。これはちょっと想像を絶しますよね…!
仲間を呼んでプライベートライブができる空間として設計されており、ちゃんとした音響・照明も整えられているとみられています。一般的な”防音室”のレベルをはるかに超えた、本格的な空間です。
バーカウンターも設置
地下には50人収容のライブハウスだけでなく、バーカウンターも設けられているとのこと。お酒を飲みながら音楽を楽しめる空間ということで、ここは単なる「練習スタジオ」ではなく、仲間と過ごすエンターテインメント空間として作られているのでしょう。
矢沢さんが長年のライブ活動で培ってきた「音楽と空間の使い方」が、自宅の地下にも凝縮されているような気がして、なんか、いいですよね。
自宅の地下に50人収容のライブハウス+バーカウンターというのは、「ロックスターの家」としてあまりに完璧すぎるエピソードです。
赤坂のプライベートスタジオ「ODEN STUDIO」も所有
南麻布の豪邸とは別に、矢沢さんは港区の赤坂にも大きなプライベートスタジオを所有しています。
その名も「ODEN STUDIO(オデンスタジオ)」。港区赤坂7-4-8に本館があり、近くには「ODEN STUDIO 2nd」(港区赤坂7-4-1)も完備されています。
本館のSTUDIO 1・2はそれぞれ約90畳という都内最大規模を誇る広さ。スタジアム規模からライブハウス規模まで対応できるリハーサルスタジオで、ダンスや大道具を使ったステージリハーサルにも対応しています。
アンテルーム・キッチン・トイレも完備されており、長時間のリハーサルでも快適に使える設計になっています。
ODEN STUDIOは矢沢さんだけでなく、数多くのトップアーティストも利用しており、閑静な赤坂の一角でひっそりと佇むその空間は、業界関係者にとって知る人ぞ知るクリエイティブな場所として親しまれています。
ODEN STUDIO 2nd
本館の近くに建つODEN STUDIO 2ndは、本館のスタイルをそのまま受け継ぎながら、新たなリハーサルスタジオとして誕生した施設です。
また、スタジオには「DIAMOND MOON(ダイヤモンドムーン)」という矢沢永吉さんのオフィシャルショップも併設されており、ファンにとってはただのスタジオではなく、矢沢ワールドを体感できる特別な場所にもなっています。
南麻布の豪邸と赤坂のスタジオ、矢沢永吉さんは港区だけで複数の超高級不動産を所有しているということになります。
35億の借金完済後に15億豪邸を建設した理由
実は、矢沢さんが南麻布の豪邸を建てたのは、35億円という気の遠くなるような借金を完済した「その後」のことです。
1998年、矢沢さんはオーストラリアのゴールドコーストで行っていたプロジェクトを通じて、35億円もの借金を抱えることになります。
レコーディングスタジオや音楽学校などが入る24階建て高層ビルの建設プロジェクトで、当時から知り合いだった日本人男性・H・K氏と現地法人「カムストック・コーポレーション」を立ち上げていました。しかし、H・K氏が物件を無断で担保として銀行融資を受け、それが返済できなくなったことで差し押さえ→売却という最悪の結末に。
矢沢さんが投じたお金は、土地代に20億円、ビル購入に11億円、プロジェクト資金に約4億円と、合計35億円以上にのぼりました。
このことを知ったときの心境について、矢沢さん自身はこう語っています。
「被害総額が35億円だから、ギブアップですよね。普通もう立ち上がれないじゃないですか。髪の毛が抜けながら、過去吸の手前ぐらいまで、精神的にそりゃ、なるじゃないですか。はめたヤツが許せない。」
……想像するだけで胸が締め付けられます。信頼していた人物に裏切られて35億円の借金を背負わされた、その絶望感たるや。
しかし矢沢さんはそこから奮起し、ライブ活動・CM・映画出演と精力的に仕事をこなしながら、たった6年で35億円の借金を完済しました。返済は一度も遅れることなく、銀行の担当者からは「返済の優等生」とまで言われたそうです。
そして借金を完済した後に建設したのが、南麻布の15億円豪邸です。35億の借金を背負い、そこから6年で全額返済し、さらにその後15億の豪邸を建てるという流れ。これがどれだけ壮絶なことか、少し考えただけでも分かりますよね。
「借金35億→6年で完済→15億豪邸建設」という経緯は、矢沢永吉という人物の底知れない精神力と行動力を象徴するストーリーです。
豪邸での家族との暮らしぶり
南麻布の豪邸には、矢沢さんと子供家族が一緒に住んでいるとされています。
豪邸の2階以上が居住スペースとなっており、1階の客間・エントランスとは分かれた造りになっているため、プライベートな空間はしっかり守られているようです。
普段のライフスタイルについて具体的に公表されている情報は多くありませんが、現在76歳という年齢になっても精力的にライブ活動を続けている矢沢さんは、赤坂のODEN STUDIOでのリハーサルや制作活動を日常的に行っているとみられています。
また、自宅の地下にはライブハウスとバーカウンターがあることからも、仕事を離れた時間も音楽と深く結びついた暮らしをされているのではないかと思います。
ちなみに、2026年の大晦日に矢沢さんが紅白出演後17分で自宅に帰宅したという話がファンの間で話題になりました。NHKホールから南麻布の自宅までを17分で移動できるのかという点も議論を呼びましたが、大晦日の深夜帯で渋谷・表参道の大通りがスムーズに走れれば不可能ではないかもしれない距離感です。
別荘については、現在は場所を非公開にしているものの、長野県・軽井沢に別荘があるという情報も一部で報じられています(ただし公式に確認されたものではありません)。
南麻布の豪邸は単なる「住む場所」ではなく、矢沢永吉さんの音楽と人生が詰め込まれた、まさに”YAZAWA流の城”のような場所です。
南麻布の豪邸に対する世間の声
矢沢さんの南麻布豪邸については、ネット上でさまざまな声が上がっています。
やはり最大の話題は「地下にライブハウス」という点で、「自宅に50人収容のライブハウスって何事」「それはもう家じゃなくてスタジオビルでは」という驚きの声が多数。
一方で「35億の借金を返してから15億の豪邸を建てる矢沢さん、普通に凄すぎる」「永ちゃんが稼いでくれるから全部自分に返ってきてる」という矢沢さんの底力に感嘆するコメントも目立ちます。
また、紅白後17分で帰宅したという逸話に対しては「渋谷からだったら余裕で17分は無理でしょ」「深夜なら麻布まで17分は行けるかも」と距離感について熱い考察が行われるなど、ファンの矢沢愛が随所に感じられます。
総じて「永ちゃんの家だからこうでなくては」「ロックスターの家はこうあるべき」という形で、豪邸のスケールが矢沢さんのスターイメージと完全に一致していると受け取られているようです。
世間からの声を見ると、15億の豪邸は「矢沢永吉だからこそ」のものとして、ほぼ全員が納得しているのが面白いですよね。
矢沢永吉の家を調べる人向けの関連情報
矢沢さんの家の歴史を辿ると、山中湖の悲劇あり、LAの豪邸あり、35億の借金あり…と、波乱万丈なドラマが次々と出てきます。ここでは南麻布の豪邸以外の家・自宅エピソードもまとめてご紹介します。
山中湖の別荘を取り壊した理由──ファン騒動の真相
南麻布の豪邸が完成する以前、矢沢さんは山梨県の山中湖にも自宅(別荘)を持っていました。
しかしこの山中湖の家は、ある出来事をきっかけに取り壊しという結末を迎えます。
その発端は、週刊誌「アサヒ芸能」に矢沢さんの山中湖の自宅が無断で掲載され、さらに地図まで公開されてしまったことです。
その後に何が起きたか。熱狂的なファンが連日連夜押し寄せ、周辺は大騒ぎに。矢沢さんの奥様はノイローゼ寸前、子供たちは登校拒否になってしまったといいます。これはきつかったでしょうね…。
やむなく矢沢さん一家は引っ越しを余儀なくされます。しかしその後、空き家になった山中湖の家に入り込んだ一部のファンが取り返しのつかない行為を重ねていきました。
ファンによる悪質行為の詳細
空き家になった自宅で起きた出来事は、「ファン行為」とは呼べないレベルのものでした。
- スプレーで壁や床に落書き
- 板を剥がして焚き火
- 無造作に女性下着が残される
こうした悪質な行為がエスカレートし続けた結果、矢沢さんは最終的にその家を取り壊す決断をします。
屋外にはレンガ調のタイル張りの床があり「E.YAZAWA」と大きく刻まれていたと伝えられており、この出来事はファンの間で今なお「山中湖の悲劇」として語り継がれています。
熱狂的なファンゆえに起きた悲劇。矢沢永吉さんへの愛情が形を変えて向かった結果が、大切な自宅の破壊につながったというのは、何とも複雑な気持ちになります。
ロサンゼルスの豪邸を売却した経緯
山中湖の家とは別に、矢沢さんは1990年代にアメリカ・ロサンゼルスにも豪邸を持っていました。
1997年、矢沢さんは家族全員でロサンゼルスへ移住します。日本のマスコミの過熱報道に嫌気が差したことが大きな理由とされており、白を基調としたプール付きの邸宅を構えていたとされています。
しかし翌1998年、例の35億円の詐欺被害が発覚します。オーストラリアのゴールドコーストへの投資で騙され、莫大な借金を背負うことになった矢沢さんは、その返済に向けてすべてのリソースを集中させていきます。
ロサンゼルスの豪邸も、そのための売却対象となりました。長年愛した家族との拠点を手放さなければならなかった当時の心境は、察するに余りあります。
現在、ロサンゼルスの物件は所有者が変更されており、矢沢さんの手を離れています。
海外移住を選ぶほどのプレッシャーを受けながら、そこへさらに35億の借金が重なった。それでも腐らず、6年で完済し、その後日本でまた新たな豪邸を建てた。矢沢永吉さんという人物の人生の振れ幅に、改めて圧倒されます。
ロサンゼルスの豪邸売却は、35億借金返済に向けた矢沢さんの覚悟の一端を示すエピソードです。
35億の借金をたった6年で完済した話
先ほどの経緯でも少し触れましたが、矢沢さんが35億円の借金を完済した話は、それ単独でも語り継がれるほどの偉業です。
1998年に35億円の詐欺被害が発覚した当時、矢沢さん自身が「普通もう立ち上がれないじゃないですか」と語っていたように、これは普通の人間なら再起不能になってもおかしくない規模の話です。
そこから矢沢さんが選んだのは、「とにかく働く」という道でした。ライブ活動はもちろん、CMや映画への出演、テレビへの露出も増やしながら、精力的に仕事をこなし続けたのです。
その結果、たった6年で35億円の借金を完済することに成功。返済期間中に一度も支払いが遅れることはなく、銀行の担当者から「返済の優等生」と評価されるほどの律儀さを見せました。
知ったときびっくりしませんでしたか?35億を6年で返す、ということは、単純計算で年間約6億円以上を返済に充てていたことになります。その間もずっとトップアーティストとして活動し続けていたのですから、精神力・体力ともに並外れていたことは間違いありません。
矢沢さんはこの経験について後にこう語っています。「リストラされたって、借金を背負ったってそれは役だと思え。苦しいけど死んだら終わりだから、本気でその役を生き切れ。」
この言葉には、あの35億の経験があってこその説得力があります。
35億の借金を6年で完済し、さらに15億の豪邸を建てる。矢沢永吉の「成りあがり」は、デビュー当時だけの話ではありませんでした。
横浜・洋光台の自宅──下積み時代から成功後まで
南麻布の豪邸や山中湖の別荘のような話とはうって変わって、矢沢さんには若き日の”普通の家”の話もあります。
矢沢さんが最初に根を下ろしたのは、横浜でした。広島から歌手を目指して上京する途中、「無意識に」横浜で降り立ったと自叙伝「成りあがり」で語っています。
横浜に着いた矢沢さんが最初に住んだのは、弘明寺のアパート。伊勢佐木町を歩いていると「ボーイ求む」という宿泊込みの食堂の張り紙を見つけ、それに応募したことが始まりだったといいます。
その後、川崎の飲食店「のり江」の2階に、前妻・すみ子さんや子供と一緒に住んでいた時期もありました。「のり江」の店主は当時を振り返って「ここの2階に住んでたよ。奥さんはスラッとしたきれいな人でね。当時3人は奥さんの母親の援助を受けていたんじゃない?」と語っています。
そしてロックシンガーとして成功を収めてからは、横浜・磯子区南部の洋光台に一戸建てを新築して暮らしていました。
ちなみに、矢沢さんが音楽の作曲名義として使っていた「五大洋光(ごだい ようこう)」という名前の「洋光」は、この洋光台から来ているとされています。地元への思いがペンネームにまで込められているのは、なんか、いいですよね。
現在、洋光台の一戸建ては取り壊され、跡地には3軒の住宅が建っているそうです。
弘明寺のアパートから南麻布の15億円豪邸へ。矢沢永吉さんの住まいの変遷は、そのままロックスターとしての「成りあがり」の歴史を映し出しています。
広島の実家と極貧だった幼少期
矢沢永吉さんは、1949年9月14日に広島県広島市南区仁保で生まれました。
原爆が広島に投下されたのが1945年8月。矢沢さんが生まれたのはその4年後のことです。
父・永一さんは戦前、自転車販売店を営んでいたといいます。丁稚を7〜8人雇うほどの規模の店でしたが、原爆によって周囲の家族は全員亡くなりました。父親だけが生き残り、その4年後に矢沢さんが誕生したのです。
しかし幼少期は、壮絶に辛いものでした。
母親は矢沢さんが3歳のときに父と息子を捨てて蒸発。父親も矢沢さんが小学校2年生のとき、原爆症で亡くなりました。
父の死後、矢沢さんは親戚をたらい回しにされ、最終的に父方の祖母に引き取られます。祖母は生活保護を受けながら矢沢さんを育てました。
生活保護受給と祖母に育てられた経緯
極貧の暮らしの中でのエピソードは、聞いているだけで胸が痛くなります。
小学校の遠足のとき、矢沢さんはリュックサックを買うことができず、新聞紙で作ったリュックを持って参加したといいます。
また、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるというひどいいじめも受けました。
こうした経験が積み重なるなかで、矢沢さんの中に「BIGになる」という強い決意が芽生えていったとされています。
広島電機大学付属高校(現:広島国際学院高校)を卒業後、歌手になる夢を抱いて広島を旅立ちます。実家は今も広島にありますが、詳細な住所等は公表されていません。
新聞紙のリュックを持って遠足に行った少年が、後に15億の豪邸を建てるロックスターになる。矢沢永吉さんの人生は、まさに”成りあがり”という言葉そのものです。
矢沢永吉の家のまとめ
- 現在の自宅は東京都港区南麻布の一等地にある推定15億円超の豪邸
- 敷地面積は約740平方メートル、地上4階・地下3階という規格外の構造
- 1階は大理石仕上げのエントランスと客間、2〜4階が家族の居住スペース
- 地下には約50人が入れるミニライブハウスとバーカウンターを完備
- 赤坂には都内最大規模(約90畳)のプライベートスタジオ「ODEN STUDIO」も所有
- 南麻布の豪邸は35億円の借金をたった6年で完済した後に建設されたもの
- 借金の原因はオーストラリア・ゴールドコーストへの投資詐欺被害(1998年)
- 借金返済は一度も遅れず、銀行担当者から「返済の優等生」と評された
- 山中湖の別荘は週刊誌への無断掲載によるファン騒動の末に取り壊し
- ロサンゼルスのプール付き豪邸も借金返済のために売却済み
- 若い頃の拠点は横浜・洋光台で、売れてからは一戸建てを新築して居住
- 作曲名義「五大洋光」の「洋光」は洋光台から取られたとされる
- 出身は広島県広島市南区仁保で、幼少期は極貧生活を送る
- 3歳で母に捨てられ小学2年で父を亡くし、祖母の生活保護で育てられた
- 新聞紙のリュックで遠足に行った少年が「BIGになる」と誓い、その夢を叶えた

