松下洸平さんの高校がどこなのか、気になっている方は多いのではないでしょうか。
出身は東京都立片倉高校の美術コース。実は高校卒業まで画家を目指していたのに、ある一本の映画を観た翌日には突然「歌手になる」と宣言してしまうという、なんともドラマティックな転換点があります。
ダンス同好会の部長を1ヶ月でクビになったやんちゃエピソードから、老人ホームで絵を教えた心温まる話まで、松下さんの学生時代を余すことなくご紹介します。
・松下洸平さんの出身高校の偏差値・美術コースの特徴
・ダンス部長クビ・人生最大のモテ期など高校時代の印象的エピソード
・高校3年で画家から歌手に転換した理由と専門学校までの学歴
松下洸平の高校と学歴をすべて解説
俳優・シンガーソングライターとして活躍する松下洸平さんの出身高校や学歴についてまとめました。
実は画家を目指して美術系高校に進んだ松下さんが、なぜ俳優の道へと進んだのか、その原点となる学生時代のエピソードとあわせてたっぷりご紹介します。
出身高校は都立片倉高校の美術コース
松下洸平さんの出身高校は、東京都立片倉高校 普通科造形美術コースです。
東京都八王子市にある共学の都立高校で、普通科に加えて造形美術コースを持つという珍しい学校です。
松下さんが片倉高校に入学したのは2002年4月のことで、2005年3月に卒業しています。
ちなみにテレビのトーク番組「あさイチ」に出演した際、松下さんは「高校が美術科で、普通科の生徒とも交流があった」と話しており、ここから出身校が片倉高校だとわかったそうです。
当時の都立芸術高校は美術科のみで普通科がなかったため、「普通科もある美術系高校」という条件に当てはまるのが片倉高校だったんですね。
また同校出身のイラストレーターである中元寺隆夢(ちゅうがんじ たかむ)さんと高校時代から仲が良かったというエピソードも、出身校の特定に一役買ったと言われています。
松下洸平さんの出身高校は、東京都立片倉高校の普通科造形美術コースです。
偏差値49の片倉高校の特徴とカリキュラム
都立片倉高校の造形美術コースの偏差値は49前後(諸説あり51とするサイトも)で、美術に特化した本格的なカリキュラムが魅力の高校です。
造形美術コースは1学年2クラス・定員80名で、美術を専門的に学びたい生徒が集まります。
カリキュラムは1年生のうちは美術全般を広く学び、2年生以降は絵画・彫刻・デザインなど専攻に分かれてより専門的な技術を習得していきます。
毎日2〜4時間の美術授業
片倉高校の造形美術コースでは、毎日2〜4時間もの美術の授業があります。
一般的な高校に比べると、芸術に費やす時間が圧倒的に多いですよね。
普通科の生徒たちが数学や英語を学んでいる時間に、美術コースの生徒たちはキャンバスと向き合っている…そんな環境の中で松下さんは高校3年間を過ごしました。
美術を愛する仲間たちと切磋琢磨できる環境は、その後の松下さんの「表現者」としての土台をしっかりと作ったのではないかと思います。
母親が画家だったから美術科を選んだ
松下洸平さんが美術系の高校を選んだ最大の理由は、母親が油絵の画家だったことにあります。
松下さんの母親は都内の美術系大学を卒業した画家で、女流画家協会や上野の森美術館の大賞展に何度も入賞するほどの実力者です。
自宅にはアトリエがあって、松下さんは幼少期から母親の傍らで油絵を習っていました。
「外で遊ぶよりも絵を描いて育った」という松下さんの言葉が、その環境をよく表しています。
ボディビルダーでもある個性的な母親
余談ですが、松下さんの母親はボディビルダーとしての顔も持っています。
都大会で優勝した経験もある実力者で、画家兼ボディビルダーという異色の経歴の持ち主です。
「好きなことを思いきりやりなさい」という母親の言葉の通り、松下さんも自分が好きなことを突き詰めて歩んできたんですよね。
なんか、じんわりしますよね。
母親の生き方そのものが、松下さんの人生の指針になっていたのかもしれません。
母親が画家という環境の中で自然と絵を愛するようになった松下さんは、画家になるために片倉高校の美術コースへと進学しました。
松下洸平さんが美術科に進んだのは、画家の母親の影響で幼少期から油絵に親しんでいたからです。
ダンス同好会設立で人生最大のモテ期に
美術の勉強に励んでいた一方で、松下洸平さんの高校時代を語る上で欠かせないエピソードがあります。
それが「ダンス同好会の設立」です。
中学時代からストリートダンスにのめり込んでいた松下さんは、高校入学と同時に普通科の友人と2人でヒップホップダンス同好会を立ち上げました。
最初は2人だけの小さなクラブでしたが、2年生になって新入生に向けた部活動紹介でパフォーマンスを披露したところ、大きな反響が起きます。
なんと女子生徒が一気に80人も入会してきたというんです(一部記事では70人とも)。
これ、知ったときびっくりしませんでしたか?
2人だったクラブに80人ですよ。
松下さん自身も「最大のモテ期でした」と振り返っており、この時期が一番女子に人気だったと語っています。
入部してきた80人は本格的な練習についていけず徐々に退部していき、最終的に残ったのは20名ほど。
しかしそれだけに残った部員たちの実力はめきめきと上がり、後輩の代では全国大会2位という結果を残しています。
プロのダンサーになった生徒も出たというのですから、松下さんの作ったクラブは本物でしたね。
部長を1ヶ月でクビになったエピソード
自ら立ち上げたダンス同好会で初代部長を務めた松下洸平さんですが、実は部長職をわずか1ヶ月で解任されていたという面白いエピソードがあります。
その理由が笑えるんですよ。
「制服を着てこない」「スケボーに乗って校舎をぐるぐると回っている」「髪型をコーンロウ(編み込み)にしている」という、ヒップホップ全開のスタイルだったため、先生から「あいつだと誰もついてこないから部長を辞めさせろ」と言われてしまったそうです。
現在の松下洸平さんの落ち着いた姿からはまったく想像できないですよね(笑)。
一方でやんちゃなだけでなく、心温まるエピソードもあります。
母親が仕事の都合で老人ホームでの絵の指導に行けなくなったとき、代わりに松下さんがおじいちゃんやおばあちゃんたちに絵を教えに行っていたというんです。
当時高校生ながら、老人ホームのボランティア先生ですよ。
同級生によれば、当時の松下さんは「自分のことでも泣くし人のことでも涙を流す。
本気で怒ったり笑ったりする熱いヤツ」だったとのこと。
やんちゃでありながらも熱血で、人情家な一面は今も変わっていないのかもしれません。
若さゆえの自由奔放な行動が部長解任につながりましたが、本人は「あの頃が人生で一番やんちゃだった」と笑って振り返っています。
高校3年で画家から歌手志望に転換した理由
高校入学から2年間、画家を夢見て美術の勉強に励んでいた松下洸平さんですが、高校3年生のときに突然人生の方向転換を決断します。
そのきっかけとなったのが、映画「天使にラブ・ソングを2」でした。
映画の中で流れるゴスペルの歌声に感動した松下さんは、「自分も歌で人を感動させたい」と強烈に思ったそうです。
翌日には母親に「美術の道をやめて歌手になりたい」と告げましたが、当然ながら猛反対されました。
美大進学のために3年間美術を頑張ってきたのに、土壇場でのまさかの方向転換ですから、母親の動揺もよくわかります。
しかし、松下さんは揺るぎませんでした。
何度も話し合いを重ねた末、最終的に母親も折れて「やってみなさい」と背中を押してくれたそうです。
……読んでいてなんか胸が熱くなりますよね。
反対していた母親が最後に認めてくれる、というのは本当にドラマティックなエピソードだと思います。
こうして松下さんは高校卒業後、美術大学ではなく音楽の専門学校へと進むことになります。
中学・小学校と専門学校の学歴まとめ
松下洸平さんの学歴を高校以外もまとめて確認してみましょう。
| 学校 | 学校名 | 備考 |
|---|---|---|
| 小学校 | 八王子市立秋葉台小学校 | 東京都八王子市内の公立校 |
| 中学校 | 八王子市立甲ノ原中学校 | 帰宅部でダンスを独学 |
| 高校 | 東京都立片倉高校 | 普通科造形美術コース・偏差値49 |
| 専門学校 | 東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美 | ヴォーカル学科(現:尚美ミュージックカレッジ専門学校) |
小学校・中学校ともに東京都八王子市内の公立校に通っており、生まれてから高校卒業まで一貫して八王子で育っています。
中学時代:帰宅部でダンスに夢中
中学時代の松下さんは帰宅部で、部活動には所属していませんでした。
放課後は自分の好きなことに時間を使っていたそうで、特にストリートダンスに夢中になっていきます。
独学でダンスの技を磨き続けたこの時期が、後の高校でのダンス同好会設立につながっています。
中学1年生の頃には好きな女の子にラブレターを書いて下駄箱に入れたものの、結局返事をもらえなかったというエピソードも。
のちにテレビに出るようになると、その女の子の母親からInstagramのDMが来たそうですが、本人からは今も返事がないとか(笑)。
専門学校時代:卒業公演を拒否した武勇伝
高校卒業後は東京都文京区にある「東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美」のヴォーカル学科に進学し、2年間歌手としての技術を磨きました。
この頃から作詞・作曲も手がけるようになり、演劇のワークショップにも参加。
そのワークショップの同期に、のちに共演することになる女優の黒木華さんがいました。
専門学校時代の有名な武勇伝として、「卒業公演には出ません」と担任教師に言い放ったエピソードがあります。
若さゆえの反骨精神ですね。
本人は後に「めちゃくちゃ後悔してます」と振り返っているので、自覚はあったようです(笑)。
松下洸平さんの学歴は小中高ともに八王子の公立校で、高校卒業後は音楽専門学校に進学しています。
学歴が現在の活動に与えた影響と世間の声
松下洸平さんの学歴や学生時代の経験は、現在の活動にも大きな影響を与えています。
美術科出身ゆえの絵の才能は「ペインティング・シンガーソングライター」としての活動の核になりましたし、高校時代に積み上げたダンスの経験はミュージカル俳優としての活躍につながっています。
さらに、NHK朝ドラ「スカーレット」で陶芸家の役を演じた際には、「高校時代に何度か陶芸をやったことがあった」とインタビューで語っており、美術コースで過ごした経験が役作りに活きた場面もあったようです。
俳優・歌手・絵描きと、複数の「表現」を武器として持っている松下さんの多彩な才能は、画家の母親のもとで育ち、美術系高校で3年間を過ごした素地がベースになっていると言えそうですよね。
ネット上では松下さんの学歴について、以下のような声が上がっています。
「美術科出身なのに歌手になって、俳優にもなって…本当に多才すぎる」「ダンス部の部長を1ヶ月でクビって、若い頃はかなり自由人だったんだな(笑)」「母親が画家でボディビルダーって個性的すぎる家族構成だけど、それがあの独自の感性につながってるのかも」「スカーレットの八郎役が完璧すぎて泣いた。
ああいう繊細な役が似合うのは学生時代に芸術を愛した原体験があるからこそかも」といったコメントが多く見受けられます。
学生時代に培った芸術への情熱と多様な経験が、今の松下洸平さんを作り上げた土台となっています。
松下洸平の高校を調べる人向けの関連情報
松下洸平さんの高校や学歴について調べている方が気になる、関連情報をまとめてご紹介します。
出身地や特技のダンス、そして最新の結婚情報まで、松下さんのことをより深く知れる内容です。
出身地は東京都八王子市
松下洸平さんの出身地は東京都八王子市で、「生まれも育ちも東京」というバリバリの東京っ子です。
NHK朝ドラ「スカーレット」で流暢な関西弁を披露したことから「関西出身では?」と思われることもあったようですが、本人いわく両親が関西出身だったため子供の頃から関西弁が身近にあったそうです。
小学校・中学校・高校と八王子市内の学校に通い、地元に根ざした青春を送っています。
かつては「メシドラ」という番組でも八王子を舞台にグルメドライブ旅を行っており、地元への愛着を感じさせます。
ちなみに松下さんには2歳年上の兄がいて、両親の離婚後は母親に引き取られ、兄と3人の母子家庭で育ちました。
家族はみんな左利きだというのも、ちょっとしたトリビアです。
ダンス歴20年超の高い実力
松下洸平さんのダンスは中学時代に独学でスタートし、高校のダンス同好会を経て、今やダンス歴20年以上を誇る特技のひとつとなっています。
2022年に本人が「20歳ぐらいまでダンスをやっていた」と語っており、中学から20代前半にかけてストリートダンスに打ち込んでいたことがわかります。
高校時代に後輩の代を全国大会2位まで育て上げたエピソードからも、そのダンスのレベルの高さがうかがえます。
俳優デビュー後もダンスの実力はさびれることなく、ミュージカル「ラディアント・ベイビー」でのパフォーマンスではその腕前を惜しみなく披露。
舞台俳優としての強みのひとつが、このダンス力にあることは間違いないでしょう。
BTSの楽曲に合わせて踊った映像もSNSで話題になったことがあり、ファンの間では「松下洸平のダンスが好き」という声も多く聞かれます。
中学時代から独学で磨いたダンスは、松下洸平さんの大きな武器のひとつです。
2025年7月に一般女性と結婚
2025年7月27日、松下洸平さんはインスタグラムで一般女性との結婚を発表し、多くのファンを驚かせました。
直筆署名入りの文面で「突然のご報告となりますが、この度結婚いたしました」とつづり、「未熟者ではありますが、日頃より応援してくださるファンの皆様、友人、家族への感謝の気持ちを忘れることなく表現者として、より一層精進していく所存です」と結婚への思いを語っています。
所属事務所のキューブも「同業の方ではなく、一般の方と聞いております」と取材に回答しており、熱愛報道もなかっただけに電撃婚という形となりました。
相手の女性の年齢や職業、交際期間などの詳細は公表されておらず、プライバシーが守られた形での発表となっています。
ファンの間では「ショック」という声と「おめでとう」という声が入り混じりましたが、松下さんの幸せを願う声が大勢を占めているようです。
松下洸平の高校・学歴まとめ
- 出身高校は東京都立片倉高校の普通科造形美術コースで、2002年4月入学・2005年3月卒業
- 偏差値は49前後(51とするサイトもあり)で、造形美術コースは2クラス・定員80名
- 高校では毎日2〜4時間の美術授業があり、2年生以降は絵画や彫刻などの専攻に分かれる
- 画家の母親の影響を受けて幼少期から油絵を習い、画家を目指して美術科を選んだ
- 高校時代に普通科の友人と2人でヒップホップダンス同好会を設立
- 部活動紹介でのパフォーマンスで女子生徒が80人(一部70人とも)入部し「人生最大のモテ期」
- 制服拒否・スケボー通学・コーンロウという自由な生活が原因で部長を1ヶ月でクビに
- 後輩の代でダンス部は全国大会2位に輝き、プロダンサーになった生徒も
- 高校3年生で映画「天使にラブ・ソングを2」のゴスペルに感動して歌手志望に転換
- 母親の猛反対を受けながらも最終的に説得し、音楽専門学校への進学を認めてもらった
- 出身専門学校は東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美(現・尚美ミュージックカレッジ)のヴォーカル学科
- 専門学校時代は卒業公演を拒否した武勇伝があり、本人は後悔していると発言
- 中学時代は帰宅部でダンスを独学で習い、中学時代のラブレターへの返事は今も届いていない
- 出身地は東京都八王子市で、両親の離婚後は母親と兄の3人で暮らした母子家庭育ち
- 2025年7月に一般女性との結婚を発表した

